50歳からの人生戦略
戦略を考える
戦略とは?
戦いを略す。
いかに戦わずして、自分の得たい状況を手に入れるか。
人生後半の50代を迎え、振り返ってみると、いろんなモノと戦ってきてます。
親と戦い、同僚と競争し戦い、NYに言ってからは、人種偏見と戦い、当時のNYにはびこっていたエイズへの不安と戦い、結婚すれば、夫と、子供と戦い、戦う場面は多岐に渡ってました。
戦うとは、
自分の価値観、正義で、相手をねじ伏せようとしてしまう在り方
または、恐怖や不安と戦うこと。
幸い28歳の時にビパッサナー瞑想を学び、不安や恐怖を手放し、目の前のことに集中するトレーニングが出来たことで、不安や恐怖と戦うことはほとんどなくなりました。
不安や恐怖は、仮想敵を自分で作り、一人相撲をしている状態。敵はいないのだと、知れば良いだけだったからです。
でも、違う価値観、違う正義で、日々向き合うリアルな人間関係や、世間の目と、多かれ少なかれずっと戦ってきたように思います。
でも、
NYで911を、日本で311を、そして大事な人を続けて亡くし、生きる事は、誰かと戦う事ではなく、自分自身の今日と、戦う=対峙する。向き合う。ことだと気づきました。
誰かと、世間と、戦う必要はまったくなかったのです。
ビジネスを学びだしてから、戦略という言葉の意味は、戦いを略すことであり、戦術ではないと知ってからは
戦略のための、戦術を考える思考に切り替わりました
それは、ビジネスだけではなく、人間関係でも同じです。
戦術と聞くと、騙しだまされ、相手の裏をかくようなイメージや、武器や技術で相手にいかにダメージを与えるか?というイメージが先行しますが
戦術ありき、ではなく、戦いをいかに略すか?そのための戦術であるのならば、思考も行動も全く違ったものになります。
50代からの人生は、いままで試したり失敗したりしてきた、「戦術」を見直して、いかに戦略し、自分との対峙だけに集中できるか?が、大切。
戦いは、豊かさや、自由さ、そして美しさを奪います。
相手を負かし、奪い、戦いに勝って得た豊かさや自由や栄美は、必ず衰退することは、歴史が教えてくれてますね
戦ってばかりいると、相手を倒すだけにとどまらず、戦場が生まれ、自分も傷つき、目指したはずの在り方が手に入らないのです。
長く、自分の領土を広げ、平和的にたくさんの人をこちらの思う行動を起こさせるには戦略が大事なのです。
頑張る人は、戦ってしまうけど、戦う事が本意ではないはず。
自分の正義は、自分にだけ向ければいい
誰かの正義と戦うよりも、平和的に周りの人に自分の正義を広めていくこと。
それが、家族とのコミュニケーションであれ、仕事であれ、社会参加であれ、世界を変えていく近道なのだと思います。
戦略は子育てからも学べた
この事に気づかせてくれた一番の力は子供たち。子供たちが新しい興味関心を持った時に、先走って
「だったら、こうしたら?こういう未来に繋がりそうだね。そっちに進みなよ」
一見、理解の良いいい母親のセリフに聞こえますか? こんなアドバイスや環境を整えることが親の役目なのは、せいぜい12歳まででした
子供たちの本来の在り方は、本人達が一番知っていて、16歳をすぎるころには
「そういう誘導的、目標設定的なマミのやり方(価値観押し付け)が、むしろ萎えるんだよね〜」と3人揃って言うようになりました。
母とは、子供を教育(自分の価値観を指し示す)べき、という価値観で(おお、なんと二重価値観に自分が縛られている!)言葉や柔らかく、良い母ムードだしてても、子供たちには違和感しかないようです。
感謝すべきは、そういうことをさらっと、言ってくれる関係性であったこと。
いまも、つい口をついて出そうになることもありますが、はっと気付いて言葉を飲み込み、子供たちの違う価値観をどう受け止め、どう理解し、理解できなくても認める心持ちで、接しています。
人生戦略を考えてみる
ましてや、他人との関係で、なぜ戦う必要があるんでしょう。正義感や価値観の違いで、他人と戦っても、お互いが傷つくだけ。
マウントとって、勝ちの感情を得たとしても、なにかが良い方向に向かう事は決してありません。自分が勝った!という自己満足すら、本当の自信=自分を信じる ことにはならないですしね。
50代からの人生第2ステージ
自分の時間=生命の時間も、この先長くもあり、短くもある。明日は本当にわからない
無駄な戦いをやめて、今日の自分の向き合う。明日の自分を創造していく。
人生最後まで、いや、50歳からこそ本気で
豊かに、自由に、美しく、自分の人生を生きる事に真摯に向き合いために
誰かと戦っている時間はないのです。
50歳から人生を変えていきましょう
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