普通とはなんぞや?普通の自分、普通じゃない自分
長女と語る。
普通とはなんぞや?
我が家では、いわゆる普通派と、変わり者派の真っ二つに家族の中で二分しています。
板前のダディが働くお店にて
日本」で考えられている普通、先進国で考えられている「普通」はアフリカの原住民とか、エスキモーの人達には通用しないよね
つまり、普通、だと思われていることは人間という種としての常識や行動形態ではなくて属する社会のマジョリティ=大多数 である、というだけ。
マジョリティであることは、割と生きやすい。理解されやすいし、受け入れられやすい。それが大多数なわけですから。
けれど、マジョリティがもし100%になってしまったら、しごくつまらない社会になるし、発展もない。
マイノリティの、社会の常識、行動形態から外れる人が社会を変えていく力がある。
古代においても、安全な大陸に飽き足らず新しい土地を目指して、船を作り冒険に出た人がいたから世界に人類が広がっていった。
普通と違うこと=異なる視点で行動出来ること
これも、バランスよく持つことが出来ると社会も自分も豊かになることができますね
自分が普通でつまらない、と思っている人
普通じゃないから、うまく生きられないと思っている人
両方のバランスを取れば良いのでは?
なんの。どんな。どういう。部分が普通なのか、普通じゃないのか。
を、まずは知ってみる。
あとは、自分が心地よく、自分なりのやりやすい方法だけを見つければ良い。
自分の中にも、マジョリティとマイノリティが、両方存在しているはず。
普通か普通じゃないか、の二択ではなく、自由に自分が選択出来ることが、大事だよね
普通も変わる、自分も変わる。その時々で自分が向きたい方向に歩けば良いんじゃないかな
さて、私は自分のボートで、大海に漕ぎ出すとします。
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